新型コロナウイルス 偏差値教育の弊害が被害の拡大を生む

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新型コロナウイルスの拡散について、場当たり的な対応が目立つ日本政府。その原因について情報戦略アナリストの山岡鉄秀氏は「偏差値教育の弊害」を指摘している。

偏差値教育の弊害が出てるんじゃないかと。頭のいい方ほど条件反射的に答え探す。正解を探してそれに基づいた対策を考えるべきだと考えるんですね。マークシートには正解が必ずある。でもリアルの世界で未知の問題に遭遇した時には答えはないんですよね。

WHOや専門機関から出された論文の中に答えを探そうとする政治家や官僚。それについて山岡氏は次のように切り捨てた。

「WHOからこういう論文が出ています」「ランセットからこういう論文が出ている」と言います。確かに論文はきちんと読んで参考にしなきゃいけない。しかしどんなに真面目に書かれたものであっても、限られた情報、限られたサンプルに基づいて言えることは何かという限定的なものなんですね。

武漢には1100万人いてそれを閉じちゃったわけでしょ。あの中で何人感染して何人亡くなってるか分からないでしょう。中国の経済統計と同じで真に受けらんないわけですよね。実際には十倍百倍の数かもしれない。「限定された条件の中でも、これは現時点で言えるんじゃないか」というようなものですから参考にはしますけども、結論的なことは言えないんですよね。

今後の対応については次のような見解を示した。

塞ぐなら塞ぐ、止めるなら止める。思いつくことは全部やることですよ。たとえ一か月間のラグタイムがあったとしてもやる。効果が有ったか無かったかということは後で検証して、そこで議論すればいいことなんです。この段階で、あれやっても効果があるとか無いとか、そういう議論しててもしょうがないんですね。そんなことやってて時間がどんどん経っちゃうでしょ。遅れれば遅れるほど不利になっちゃう。

オーストラリアがやったように少々乱暴であろうと「できることは全部やります」というアクションをまずとって、それから走りながら考える。オーストラリアはまず2週間全部止める。それから一週間ごとにレビューしていきますと。危ないから一週間延長します。考える。様子を見る。まだ危ないから延長します。大丈夫というところまで延長します。走りながら考えるという戦略なんですね。

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